そうだね

最近タラチオさんのことを考えることが多くなった。

別に今まで考えてなかったわけではなく、タラチオさんのことを忘れて過ごした日なんて、冗談抜きで6年間で1日もないのかもしれないと思うくらいには考えてるんだけど、文字に起こして吐き出さなきゃ終わらないなと思うくらいにはここ数日タラチオさんでいっぱいになってる。

 

なんでこんなにタラチオさんのこと好きなのかな〜って考えててなんとなく行き着いた先が、「強くて優しいから」だった。これだけ見るとヒーローみたいだね。でもあながち間違ってないかもしれない。彼にヒーローという言葉をあてがったのは今が初めてだけど、彼に救われた経験があるという意味ではぴったり、いやぴったりではないな、悪役みたいなとこあるし、てかどっちかというと悪役だし、でも全く違うこともないなと思った。神とか教祖とかよりはよっぽどマシな形容だと思う。前にも言ったけど私はあの男を信仰する気も崇める気もサラサラない。ただどうしようもなく縋っているだけ。

 

タラチオさんの強さって、まあ物理的にも強いんだけど今はそんな話はしていなくて、こう、なんだ、軸がブレない強さなんだよね。「タラチオ」という歌い手が、どんな音楽をして何を届けるのか、それが変わらない。変わらずに進み続けてくれるから安心して見ていられる。私はタラチオさんが切り開いて進んだ道の後を直接追うことは無いけれど、側から見ていて清々しいほどに、彼は真っ直ぐでいて強いなと思う。ただ、その中でも彼にとって葛藤や苦悩や選択や焦燥や、様々なことが過去に起きていて、今もなお起こっているで有ろうことは、分かる。どう起こっていて、それがどうなっているかは分からないけれど、それらが「有る」ということくらいは、バカで鈍感な私にも想像できる。それでも、それでいて尚人前に立つ時には「これがタラチオの音楽で、やりたいことだ」と示してくれるのがかっこいいところ。

 

 

よく「明けない夜はない」なんて励ましの言葉を耳にするけれど、タラチオさんの励ましってそういう系統じゃないと私的には思っている。私は、明けない夜じゃなくて勝手にくる朝に怯えてるんだから別に夜は明けなくていいと思っているので、(ここで言う"夜"は"辛いこと"の比喩なんだからお前の言う勝手にくる朝は"夜"の範囲内だろという指摘は置いておいて)その励ましにはイマイチピンとこない。タラチオさんの励ましは、「頑張れ」とか「大丈夫」っていう前へ引っ張ったり押し出したりするものよりも、後ろで見張ってるからお前がどれだけ後ろに倒れ込んでもお前を必ず支えてやる、みたいな、安心と信頼と安定をくれるものな気がする。俺が後ろにいる、お前の好きなようにやってこいという赦し、これ以上後ろに下がることはないから何もしなくてもいいという赦しがある。そしてそういった支えがあるとわかっていると、人は案外一歩目を踏み出せたりする。誰かに手を取られたり、背中を押してもらった一歩ではない。自立した、自力で踏み出した一歩。だけどそこには明らかに彼の力があって、でも実質的には己のみの力であるという構図ができる。これがタラチオさんの優しさかなと思う。時間が経てば逆らおうにもきてしまう明日に、「嫌だよなァ……」と言いながら一緒に待ってくれる、そんな存在。自分も昔はこうで……とか、きっと大丈夫!なんとかなるって!みたいな寄り添い方ではなく、ただ関心と無関心の狭間のような、それでもポロッと遠回しに「生きような」って言ってくれる人。お互いにね、そういう気持ちになることもあるけど、まあなんとか、生きていようかって。

私がずっと大好きなタラチオさんの言葉、「GW明け、電車止めないようにしような」、これが私の今まで書いてきたものをぎゅっとさせたようなもの。正しくは私がこの言葉などを分解したんだけど、とにかくこういう風に直接的じゃなく、ただ周りくどすぎもせず、重すぎないようで届く人には深く届く言葉が出てくるところが、本当に好きなんだ。

 

 

私はタラチオさんのライブには、音を浴びに行くのと同時に言葉をもらいに行ってる。タラチオさんの歌と言葉を通して見える人格がこれ以上ないくらい好き。これだけの言葉を紡ぐくらいにはあんたのことを考えてるし、一人の人間に使う時間じゃないくらいの時間、タラチオさんのことを思ってる。人生で初めて救われたという経験をしたタラチオさんが特別なのはまあ仕方ないけど、私はいつになったらあんたを越えるか、せめて並んでくれる人を見つけられるんだろうね。

その時まで、タラチオさんのこと好きでいさせてよ。

 

 

最後に、匿名で日付も書かなかったあのファンレターの最後の言葉を書いて終ろうか。

 

I love you.

 

 

 

 

 

【引用元】

https://nico.ms/sm35086905