グッデイ!!の考察

直接的なタイトル・パート2。

私は特にV6の中でこの曲が好きなんですけど、なんでかなって思って考えてたのでその話をします。結論が出たとは言ってない。
 
 
 
 
まず、この曲は新婚の曲だという解釈を良く目にするけど、それは私もほぼ同意。誰の結婚の曲か、という発言をしてる人はほぼ居なかったのでその人たちと私の考えが一致してるかは分からない。もしその人が「V6メンバー(あるいは自担)との結婚」をイメージしているなら違う。私は「あのカフェ(カフェか?バーかな?ここではカフェで)に通う仲間の1人が結婚した」というイメージを持っている。それは似たようなこと多分言った。ツイート遡ってみよ!言ってませんでした。近いことは言ってたけど考え変わってるね。でも過去の私の意見も分かる。流石私。解釈の一致ですどうも。
 
 
なんでこの曲と彼らの結婚が結びつかないか考えると、多分MVの影響が大きい。
 
MVの6人に全く女性の気配が無い。自分たちが好きなことをしているだけ。あのカメラが彼女目線なのでは?と言われれば困るんですが、おそらく違う。
彼らの表情は”仲間の野郎”と一緒に居る時のものに感じる。カッコつけてなく、慈愛をこちらに注いでるわけでもない、そのままの1人の人間としてのラフさ、が出てると思う。というのは今書きながら考えました。本当はなんとな〜く女性を前にした彼らじゃないな、って雰囲気を読みとっただけ。
だとすればこの曲の”君”は誰という話になる。
ここからはゴリゴリに私の考察が入るんですけど、2番サビの「2人ここからBrand New Day」の”2人“。これを”あの場所に集まる仲間とその恋人“と当て嵌める。そうすればこの曲はその2人が結婚することに向けた6人からの祝福の曲、と受け取ることができる。
 
あの場所で唯一バーカウンターの向こう側に居る井ノ原くん。カフェから外に出ることがないからオーナーだろうね。そしてギターを弾くシーンがある。つまりあの曲を作ったのは井ノ原くんじゃないかってこと。
小説家は自分は主人公じゃないけど一人称を俺で書き、自分の考えをその人物に投影する。そして、たまに別の人の視点から話を進める場面では、主人公を俺ではなく名前で表現する。そうすることで読者は自然と視点が変わったことに気付ける。
これと同じ現象が起きてるのでは、と思う。
井ノ原くんが恋人と仲睦まじい様子の仲間を見て書いた詞。途中で自分の存在をさりげなく示唆するために2番のあの歌詞を入れた。そうとも考えられる。
そして「サンダルの君」はきっと小説でいう主人公、つまりここでは仲間の視点。「二人隔てる距離がじれったい」これは仲間の目線とも考えられる。だけど、その二人を思い書いた井ノ原くんの気持ちも入っているように思う。私は「交差点の向こうでサンダルの君が手を振る」を聞いた時に思い浮かべた情景は交差点の横断歩道を隔てたカップルが向こう岸の相手に気づいてはにかむ幸せな様子、だった。そうなればその距離がじれったいのは当事者の2人だけじゃなくて、私もじれったいし、きっと井ノ原くんもそうなんだよね。
と、ここで起こるのが井ノ原くん(曲の創り手)と私たち(聞き手)の視点の一致。私たちは井ノ原くん、そして歌っている6人と同じ景色を見て、似たような感情を抱いている。言わば”多幸感の共有”。与えられる楽曲が多い中で、これは私たちを仲間と認めて6人と同じ視点に立たせて貰ってる。そう考えれば私がここまで好きなのも納得できる。
 
つまり私はMVや歌詞の節々からV6との結婚生活ではなく、見知らぬ誰かの幸せを願うV6を感じ取っていたというワケ。
 
あの場所では、野球のことやサーフィンのことと同じように、「そう言えばアイツ近々結婚するんだって?」なんて明るい噂話もしてるのかな、と思う。
 
私は好きな人の幸せな姿を見ると、自分も幸せに感じるタチで、彼らもきっとそう。つまり、仲間の幸せな姿を見て幸せになるV6を見て私も幸せになる。幸福の連鎖。あの曲がハッピーに包まれてるのはこういうことかもね。
 
 
という考察でした。考えはフと変わるものなのでこのお気に入りの考察を留めて置こうかな、という感じで。